コミュニティー

コミュニティーの醸成に答えはない

突然ですが、私は現在やまがたにて「やまがた次世代会」という高校生から社会人までが参加しているコミュニティーを運営しております。

目的としては、「安全な実験の場所」

普段自分がいるコミュニティーでは堂々と夢を語ったり、本気で何かに打ち込むことに対して
後ろ指を刺されたり、やばいやつと言われたり、まぁなにかしら寂しい思いをした人がいると思い
(まぁ俺なんですけどねw)
他にも同じ人がいるとしたら山形に対しての機会損失だなと思い始めた。コミュニティーです。

今回は、「コミュニティーの醸成に答えはない」ということについて話していきます。

「やまがた次世代会」とは、言ってしまえば、コミュニティーの失敗事例を1年間やってきました。
・なんの場なのかわからない
・いつもいる人(中心の人)がいない
・参加者同士の交流が少ない
・最初から大量に人を呼ぶ・誰でも参加OKにする。
・そして、代表が参加者の名前を全然覚えていない。(ごめんなさい)
・参加者に意見を聞かない

とまぁ、こんな状態でしたが、1年間続けてこれることができました。

というか、補足すると
一般的には失敗例と言われていますが、私はこれをむしろ肯定的に捉えています。
なぜなら、もちろん私は情熱を注いでいたし、本気だった。
完璧だったとは言いませんが、やまがたでまだ誰もやったことのないことをしようとしているので
至らない点もあったと思いますが、これがなかったら 今も今後もないと思っています。

そして、方針転換をすることにしました。
これから、上記のことについてすべて改善していきたいと思っています。

ここまで、なんとかやってこれたのには3つの要因があると考えています。
1.やまがたで代替できるコミュニティーがいままでなかった。
2.代表がいつでも謎の自信に満ち溢れていた。
3.入り口を広くし、認知度をあげることができた。

1.やまがたで代替できるコミュニティーがいままでなかった。

山形にはいままでに、高校生から社会人が夢を語ったりお互いのことを
知るようなイベントが存在していなかったと認識しています。
だからこそ、参加者は期待し続けてくれたのではないかと考えています。ありがとう

しかし、これからはいままでの調子でいくとまずいです。
様々な同じようなコミュニティーが生まれようとしています。

2.代表がいつでも謎の自信に満ち溢れていた。

代表の私が、「やまがたを最高のわくわく田舎にするんだ!」と叫んでいました。
自信満々に叫ぶと、みんな脳が錯覚して、あれ?なんか楽しそうじゃね?って思います。

これはほんと大事なことですが、私が叫ばないとムーブメントが起きないのでは、継続性がなく、
属人的なコミュニティーとなり、やまがたの為になりません。

3.認知度をあげることができた。
東京は人が腐るほどいるので入り口が狭いコミュニティーでも認知度が上がりますが、
やまがたでは、それがそもそも無理だと考えました。
やればできたかもしれませんが、認知が広まる前に、今届けたいターゲットに届かないことが
とてももったいなく感じたのです。

入り口を広くし、今後そこから密な関係性を作っていこうと思っています。

私がこの記事で伝えたいことは。つまり。


・やりたいなら試行錯誤をしながらとにかくやれ!止まるな。動きながら考えろ

・物事に失敗も成功もない。自分が進んだ道、方法、やり方、生き方でその道をあとから良かった。と言えればそれでいい。

特に、コミュニティーマネジメントは最近注目されていますが、
完成形は存在しないと思っています。
ターゲット、地域性、コンテンツ。すべてはいま、上手く言ってる人があとからうまく行ってる。
と言ってるだけで、他の正解もまだ発掘できると思います。
それを信じて、私はこれからも「やまがた次世代会」を作っていきたい。