日記

「地方でも関係なく自分の人生をデザインする」自分語り総集編

前置き

大学2年生が終わる今、しっかりと自分が今までしてきた活動を言語化し、振り返りこれからの2年間をどう生きていくかを考えるきっかけにするため

そして、「地方だから」を言い訳にして行動できない方々のきっかけになるため。

かつて自分もそうだったので、そんな学生に喝を入れ、一歩踏み出すことを応援したいためここにかなりの長文を書くことにしました。

かなり長くなるので、書く見出しをみて、自分に必要だと思った項目だけ読んでいただけるだけでも幸いです。この記事は全編無料です。あなたの身の回りにいる「なにかしたいけどなにをしたらいいのかわからない学生がいたらシェアしてあげてください」

自分語りが多いので途中は読まなくてもいいですが、

各テーマの最後に私が本当に伝えたいことを書いていますので、そこだけでも読んでください。

また、本記事の最後には、トータルで伝えたいことを書いています。

バックグラウンド

私は、東京都で生まれたいわゆるCity Boyってやつです。
23区の田舎とバカにされていて、練馬の流行は都心の3年前とか言われています。
大根畑とキャベツ畑のある。新宿まで30分でいける街、練馬

家庭の方針が厳しく、携帯を持たせてもらえたのは高校生から。門限は18:00。

お泊り禁止。紙の地図を見ながら自転車でお台場や築地や浅草に友達と3時間かけていったり、毎日サッカーボールを蹴っている私服は全身adidas靴はミズノのトレーニングシューズという少年でした。小学校の時は、毎日サッカーをしたり、いじめっ子に遊ばれていました。学校に行かない選択肢を知らなかったので普通に通ってましたが。区大会で準優勝をしたときに全試合フル出場だったりと、サッカーは順調で、中学では1年の最初の春に3年の引退試合に出るくらい活躍していました。で、キャプテンになったりもしていました。

1日13時間くらい勉強して偏差値65くらいの高校に受かりました。

高校は、サッカーは失速してダメダメ、途中で受験を理由に退部して彼女と遊んでました。クソ野郎ですね。他人をバカにしたりと調子に乗ってました。あ、妹は小6と高3が2人います。この前帰省したら柴犬がいました。はじめまして

地方大学に行こうと思った理由

きっかけは「一人暮らしがしたかった。」家が厳しいもんで、家からでて自分だけの時間がほしかったんですね。3歳で妹が生まれてからずっと兄だったんで、いろいろ背負って疲れてました。って感じですね。しかし、想ってるだけで行動しませんでした。私は、物理化学英語が苦手だったので、でも将来を考えて理系を考えていたので科学を捨てて物理と英語をひたすら頑張りました。

つまり、私立理系1本でセンター試験前の12月まで頑張っていました。でも、無理なのはわかってましたが、5教科7科目でセンターを出願したんですね。
 塗り絵でもいいから運を信じよう。と 1月から2週間 センター国語を勉強しました。政治経済は小さいころから好きで勝手に調べてたのでイケるっしょと思ってやりませんでした。

まぁ、長く話しても仕方ないんで、結論をいうと「合格」したんですね。センター化学とか塗り絵で12点とかだったと思います。都内の私立は全部落ちたので、山形大学に行きました。
そのときから、私はリスクヘッジをする道を歩んできました。

ここで、学んだことは「あらゆる情報を調べ上げ、考えらる場合を全てを参考にしながら思考し考え抜き、最後まで諦めずに少しの可能性にも全力で突撃する」です。

スキーが好きなので、山がつく地方大学で馴染みのない東北ってことで山形大学にしました。以上。それだけ。どうしようもない理由です。

また、このとき山形なんて田舎にいくやつなんて池袋の高校では考えられなかったんですね。周りや先生に相当バカにされました。 この経験から、後の行動力に繋がっていきます。  結論を言うと、「逆張り全力Bet」です。

山形に行くからには、有名になって結果出して東京のやつら見返してやろうってね

バイト漬けになった話

バイトだるかった。人不足だったので、毎日出勤2時まで働くみたいな感じでした。

金は溜まりましたが、自分のやりたいことがなにもできなかった。

就活で話せるために、バイトを頑張りました。って言おうとしてる人へ

今だから言えるけど、そんなスキルどこでも役に立たねぇよ

毎日、ひたすら天ぷらと唐揚げと魚を丸焼きにしてました。何を得たと思いますか?

料理長のご機嫌取りです。以上  バイトをしたくないと強く思うようになりました。

まぁ、この前住み込みで働いたけど

起業したい系大学生だった話

起業したいって言ってる学生いますよね。黙って税務署行って届けを出して来いよな

私も、毎回それ言われてました。でも、しませんでした。

準備が~、スキルが~、人脈が~、時間が~ずーーーーーと言い訳

クソ野郎だな。ほんとに。この前税務署行って開業届だしたら5分で終わったよ。

1年生の春、私は起業をしたい!ってずっと叫んでました。友達と起業部作ってみたり、起業家教育プログラムに参加してみたり、ゲストハウスやってる団体に入ってみたり、起業系の授業を受講したり。1年生のうちはよかったです。やばい一年生がいる!期待の一年生がいる!そういわれ、調子に乗ってました。なにもしてないのに。

結局私は、起業をしたいと叫んでいる自分が好きなだけでした。クソだなほんとに

1年生で気づいてよかった。 起業したいって言ってるやつを信用しなくなりました。

まぁ、この前2年生の後期(休学をしたので大学3年目)開業届出しましたよ。私は、個人事業主だよ。起業ってこんなもんか。と思った。

ここで、伝えたいことは「黙ってさっさとやれ、それでも動かないなら本当に自分がやりたいのか考えてみろ。自分にとっての幸せはなんだ?」

地域に関連した活動をしてみた話

山形にせっかく来たし、山形の人となにかしたら面白いんじゃね?と思いました。大学の授業で山形の田舎に行っていろいろ肌で感じてきてねっていう授業があって最上の大蔵村というところでフィールドワークをしてきました。そのとき、そこにいた担当者や村の人にめっちゃ喜ばれたんですね。来てくれてありがと~って。で、そんとき、あ、地域の人と交流することって喜ばれるんだなぁとおもって始めました。で、東根市でゲストハウスを運営する団体に入って、いろいろやってました。でも、本気で打ち込んでいませんでした。いつも言い訳ばかり、本当に自分がしたいことを探していました。

なにもかもが中途半端なまま月日がたったので、最近休止に入りました。

ここで言いたいことは、「やらない善よりやる偽善」やりたいと思ったなら全力で突き進む

海外に目覚めた話

高校二年生の時に、ニューヨークで2週間語学留学に行きました。本当は現地で日本人の女の子と仲良くなってきました。かかった費用は60万円。ほんとに親にごめんなさい。と思っていて、それ以来、低価格で無料でいける海外のものだけを探すようになりました。

高校生までは、海外に絶対に行きたくなかった。なんだか怖いから。銃で撃たれそうだし、連れ去られそうだし。でも、Americaに行って考え方が全て変わった。みんな英語をできないなりに伝えようとしている。自分の意見を積極的に言っている。あ、いいんだ。自分をもっと出していいんだ。世の中には、自分を出している人がこんなにもいるんだ。狭い世界で俺は16年間なにをしてきたんだ。そういう気持ちになった。

そのときから、自分にとっての海外は「自分を出せる場所、自分の小ささを認識する場所」としている。まさかあのとき、5年後のいまパスポートに7か国くらいのスタンプがついているとは思ってもいなかっただろう。

そのアメリカでの経験が、遊んじゃって勉強しなかったけど。自分を前に前進させた。

大学が航空費と単位をくれるからインドネシアに日本語を教えに行くプログラムに参加し、3週間日本語を教えてみた。最高の経験だった。東南アジアにはこんなにも日本に興味を持ってくれている人がいるんだ。目の前の人に価値を提供するってこんなにも素晴らしいことで楽しくてわくわくするんだと、その経験から一年後私はベトナムで8か月間日本語教師としてインターンをすることになった。

ここで伝えたいことは、「怖いと思ったり、ちょっとでもウッと思ったことは自分の成長チャンス!その感情を大切にして前に進めばやってみればいままでとは違う世界に出会える。やらない言い訳をしようとしたらそれは人生を変えるチャンスだ。」

インターンシップに本気で打ち込んだ話

一年生の春休み(2年生との境目)に私は、ある海外プログラムに参加した。学生にとっては、かなり高い買い物(詳しくは、説明会で説明されます:中の人なので、ここは厳守)だったが、1年間バイト漬けだった私には怖くなかった。インターンというとどんなイメージがあるだろう。

2日間企業にいって、説明を聞いてそれっぽいディスカッションをする。

なんだ、企業についてわかった気になる。

そうではない、私の参加したものは、すべては学生のために、企業の利益や働いてもらうのではなく、参加した学生の人生をおもしろく、きっかけになる。変わる。そのために2週間全力でコミットするいわば、インターンという名のプログラムだ。

簡単に言うと、全国で集まった仲間とチームで現地でプロダクトを創る。プロジェクトを成功させる。というやつ。

私は、いままで自分さえよければ周りなんてどうでもいい。自分が一番優秀だ。と勘違いをしていたが、同じ参加者のみんなのやさしさに触れ、感情、心の声に触れ、他人のことを考えて行動するとはどういうことか。を身をもって学んだ。もちろんビジネスとはなんなのか。ということも学んだし、ベトナムでやるということ海外で挑戦することも学んだ。参加して最高に良かった。感謝

その後、それを売り、説明をして実際に学生に参加してもらう営業をする長期インターンシップに参加した。

1か月目から3か月連続社内表彰をされ、地方部で営業成績1位だった広島を抑え1位に急上昇した。記憶がある。

そのとき、誰にも教わらずに、いままでの組織ではなかったであろう斬新な集客方法で、様々なコミュニティーに溶け込み、徹底的にリサーチをし、他県に乗り込み、一日中集客のことを考え実行していった。大学と連携し、cafeと連携し、成約者とイベントをやる。など誰も真似できない方法で悪く言えば再現性のない方法でゴリゴリ集客をし、成約をしていった。最終成約率は30%だった。

そのときに本気で打ち込んで結果を出したからか、秋冬はベトナム法人で働きながら日本でもwebマーケティングとTwitter運用を任せてもらえた。

リスティング広告の運用もした。損失も出したけど、斬新なコピーライトでコンバージョンに貢献した。

でも、俺には苦手なことがあった、チームになること。山形地域で1人で無双してたから褒められたりしたけど。他の人と連携してやることが苦手なままだった。いまでも苦手。

で、そのあと社長がFacebookで「誰かベトナム法人で日本語教えるインターンやらない?」って投稿してたので、すぐに連絡し大学を休学してベトナムで働くことにした。

同時期に、ベトナム法人に参加したのは自分が営業インターンを始めるまで地方1位だった広島の人とだった。彼は優秀だった。英語を話せるし、多くの人とコミュニケーションをしっかりとれるし、思ってることをはっきりという。挑戦するマインド、他者へのリスペクト。たまに抜けているけど、彼から人間として大事なことを学んだ。それまで、口だけで全く行動できない、言い訳を探していた自分が最も影響を受けた。言い訳しかしていなかったけど、呆れずにいてくれた。呆れていたかもしれないけど。いい意味で人間らしさがある。

肝心の日本語教師はというと、インドネシアで教えた経験があるから大丈夫だろうと調子に乗り、一番大事な生徒を見ていなかった。大事なのは、目の前にいるお客さんであり、生徒であり、その月謝を払う親である。自分よりも相手を大切にする。それは、いままで金が絡んだことのなかった派初めての経験だった。最初の4か月はずっと授業内容低迷していて、ひどすぎて、生徒もやめちゃったり授業も成り立たないときがあったりで、精神的にも死んで鬱になりかけていた。

授業以外は部屋から出れないこともあった。

それでも、相手のために、生徒に対してしっかりを正面から向き合い授業をすることで授業も楽しくなっていた。そのときの気付きは、「自分は、いままで方法ややり方にとらわれ過ぎていたのかもしれない。大事なのは、やり方ではなく、向き合い方。」このとき、自分の中での「しなければならない(みんなの日本語18課らへんw)」の呪縛から抜け出せた。

また、いままで他人のせいにしていきてきたことも認識した。自覚をした。

そうして、8か月間のベトナム法人での仕事を終えた。

学生のきっかけになりたかった話

山形で、地方だから~、田舎だから~、遊ぶ場所がない~。と言っている大学初期にできた友人とは全く関わっていないが、そんな人がいることに寂しさを覚えた。

いろんな地域系サークルや社会に対してアクションをしたりなにか発信したりする学生団体、サークルは存在するものの、それらの横のつながりがないことは山形にとって機会損失だと、その関係者が新しい繋がりをつかみ、きっかけになるようなイベントがあればいいと思い、休学してすぐの9月に1回目のイベントをした、で1月に2回目、4月に3回目をして過去参加者117人。確か。で、コミュニティーを創っていまは101人の参加者がいる。

山形の学生にとって有益な情報を発信したり、仲間集めの場として機能しているが課題もまだまだある。

このコミュニティー立ち上げに悩んでいるときに、よんなな会主宰の脇さんに相談した。

その時言われた言葉「やりたいなら、やるかやらないかじゃない。やるかやるかだ」やりたいって言ってるのに、やらないということは心のどこかではやりたくないということ。

自分の弱さから逃げ続け、弱さに立ち向かった話

自分の弱さは、やらない理由を人のせいにするということ。

できる可能性が低くなった時に、簡単離脱し、逃げるということ。

また、自分のできないところに目を瞑り、環境のせいにするところ。

休学中の上記のことのなかで、少しマシになり。また、少しずつ改善していこうと思う。

意識をしていないとできない。

フリーランスとして活動を始めた話

休学も残り3か月に差し掛かったころ私は、なんとなくフィリピンとマレーシアでの窓生活をしていた。正確には、プログラミングを勉強していた。

とうとう金がつきかけて、やばいというときに、自分は動画編集をできることを思い出した。いままで、動画編集が金になることを知らなかったのですぐに営業をかけ案件獲得。ピンチを脱した。

自信がついた。それまでは、○○に所属しているにへいです。○○をやっているにへいです。など、肩書を組織や集団で名乗っていた。自分は、なにができるんだろう。やっていることしかいえず、自分ができることを言えなかったが、いまは胸を張って動画編集フリーランスをしています。言うことができ、自信になった。

発信活動をしたいことを思い出した今

最近思い出したのは、昔からブログを書いたり発信をするのが好きだったこと。

中二で、実はブログを書いたりしてたし、YouTuberみたいなこともしていた。ツイキャスでは、学年の30%が面白半分でみるようなツイキャス主だった。

いままで、様々な活動をしてきたが自分のやりたいことは発信だったと気づき、そして最近関わっている組織を数個抜け出し、発信活動の為に動き始めた。

来年度から3年生。これから自分はなにをするのか。承認欲求ではなく、誰かから認められることを求めず、ただ自分と向き合うことができるようになった今。私は、世の中にどんな価値を提供したいのか。探る。

どう在りたいか。これからの話

自分が素敵だなって思った素敵な価値を世の中に発信するような生き方をしたい。

最後、ここ3年間での経験を受けて

背中を押してくれる人を大切にしよう。

この3年間、背中を教えてくれる人のおかげで様々な経験をしてきた。

そして、やりたいならやろう。いますぐに。

準備は必要なく、走りながら自分に必要な装備を身に着けていこう

たぶん誰もここまで読んでないけど。これで、自分の過去の経験が言語化されました。

今後、これをもとにナレッジやノウハウを書いていきます。